【田原真人】魂の脱植民地化/自己組織化の実験 ~ クエストの物語 No.1(前編)

このクエストの物語は、世の中に自らが望む変化を創り出そうと探求しているリーダー達へのインタビュー・シリーズです。

このインタビューでは、そのリーダーの考え、歩んできた人生の道のり、人生の目的、未来への想いなどを語っていただきます。

初回は、自然の摂理に則り、生命の躍動を感じながら学びを創り、個人・場・世の中に変容を起こしている田原真人さんへのインタビューです。

田原真人さんの写真
田原 真人(たはら まさと)
自己組織化ファシリテーター
オンライン教育プロデューサー

「反転授業の研究」代表
http://flipped-class.net/wp/
物理ネット予備校「フィズヨビ」代表
http://phys-yobiko.com/

公式ブログ :
http://masatotahara.com/

早稲田大学理工学研究科博士課程で生命現象の自己組織化について研究後、河合塾の物理講師になり、2005年に物理ネット予備校(フィズヨビ)を立ち上げる。反転授業との出会いをきっかけに、ピラミッド型の社会システムや教育システムに疑問を抱くようになる。自らの学び場を自分で創るために「反転授業の研究」を立ち上げる。そこで対話を通した自己組織化と出会ったことで、学生時代に学んだことを再び生かし始め、オンラインコミュニティに「いのち」を宿らせることに調進し始める。集合知→価値創造→価値提供の循環が生まれ、4000人を超える活性化したコミュニティになる。その体験を分かち合うために自己組織化ファシリテーターとしての活動を始める。インターネットで相互に繋がり、生命的になりつつある世界において、インターネットの繋がりを生かした生命的な生き方を追求するために「Zoom革命」を始める。著書『Zoomオンライン革命』を近日発売予定。国際ファシリテーターズ協会日本チャプター理事。

田原真人さんへのインタビューは、前編・中編・後編の3回に分けてお届けします。

前編は、自己組織化ファシリテーター/オンライン教育プロデューサーである田原真人さんの教育に対する考え方、ファシリテーターとしての在り方などを紹介しています。

そして中編では田原真人さんのライフワークやご自身の変容の物語を、さらに後編ではご自身の更なる変容の物語と根底にある考え方、世の中に創り出したいものを紹介します。

概念的なところを更に掘り下げ、思考を深めて概念化していく田原真人さん。ご自身の人生の経験と生命に関する研究を活かした奥深いお話を、ぜひお楽しみください!

田原真人が起こしているパラダイムシフト

【小泉】はじめに、田原真人さんがされている活動を教えてもらえますか?

【田原真人】自分の活動は、主に教育の分野が中心ですが、オンラインを使っていろいろなコミュニケーションの在り方を「命令伝達型」から「対話型」に変える活動とくくれると思います。

もともとは教育の分野で、いわゆる一斉講義型という先生から生徒へ一方向的に情報が伝達されていく教育から、生徒同士が話し合って自分で学んでいく教育、「アクティブ・ラーニング」とか「反転授業」とかいわれるような教育の方にシフトしていこうっていう流れの渦の中心あたりにいます。

そして、それを突き詰めていくとコミュニティや組織の在り方とかも同じことだなと見えてきています。

「学力テストで条件付けしていく教育」、「お金で条件付けられて働く大人」、いろいろな構造が同じことだなというふうに見えてきていて、それらをまとめて変えていきたいということで活動のフィールドが教育関係ではないところに広がってきている状況です。

生き生きとした生き方を妨げる「モノ化」

【小泉】学力テストで条件付けしていく教育、お金で条件付けられて働く大人のような、そういう世の中にある同じ構造を見て、どんなことを思われたんですか?

【田原真人】自分もその中で暮らしてきたなと(笑)

自分の中では「そういう状況になったときに生き物がどんな反応をするのか?」っていう普遍的なメカニズムを探求しています。

それはたぶん人間だけでなく、人間以外の動物、植物も一緒だと思います。

要するに生き物には「環境応答能力」というものがあって、環境に対して自分を変化させていって適応するっていうのがまさに「学習」で、学習しながら生きていくっていうことが生き生きとした生き方だなって思っています。

ただ、強烈な外発的動機付けをしていくと環境応答能力が失われて線形化されてしまう。線形化とは、インプットに対して同じアウトプットが出ていくことで、言い換えれば「モノ化」されてしまうということで、それは暴力的だと思っています。

生き物はモノ化されてしまうと苦しいので、「自分の生命の躍動」と「モノ化されている現実」の軋轢の中で暴力の種みたいなものが内側に生まれて、それが外側に発露すると他人を傷つけてしまうし、それが自分に向くと自分を傷つけいくような方向になる。

だから、その抑圧によるモノ化みたいなものを減らしていけないかなと考えています。

田原真人さんの写真

「反転授業」との出会い

【小泉】そういう活動を始めたきっかけは?

【田原真人】一番最初はそんなに深く考えていなかったんですよ。

僕は河合塾の予備校の講師をしていて、動画を配信する授業や動画を配信する会社をやっていました。その動画が配信する会社っていうのが時代の流れとともにいつまでも続くはずはないなって思ってたんですね。

2011年、2012年ぐらいには、カーンアカデミーとかムークスみたいな、無料でみんなが動画が観れるっていう時代がもう始まっていたので、これが広がってくと大手も参入して、僕みたいに個人で動画を配信していますっていう仕事が消えてくだろうなと思っていました。

それは言ってみれば、「教育というのはコンテンツビジネスだ」っていうような設定がなくなってくだろうなって思ったんですよ。

じゃあ、「そのときに教師っていう人はどういう役割を果たすんだろうか?」と思い、その先の役割を自分が先頭きって開拓していったら、新しいパラダイムで自分は仕事をして生きていけるだろうなっていうビジネスマン的な発想がその時はありました。

で、そこに向かって出会ったキーワードが「反転授業」で、じゃあこの反転授業っていうキーワードで自分は何かやってったらいいんじゃないかなって思ったんですね。

仕事をしている人って未来に対してある程度投資するじゃないですか。その時の自分の考えでは、その投資の種の一つが反転授業だったんですよ。

で、やっていくとコミュニティができて、対話していくうちにどんどん深まっていくわけですよ。

※反転授業とは?
従来の授業は、教室の講義で知識を得て、宿題で定着させるという順序であるのに対し、反転授業は、教室と自宅学習の役割を入れ替え、自宅で授業動画を見て知識を得た後で、教室でグループワークや演習を行って定着させます。

何のための「反転授業」なのか?

【田原真人】「じゃあ、何のための反転授業なのか?」といったときに「工業型社会が末期を迎え、知識基盤型社会が始まる。その知識基盤型社会に対して、新しい教育が立ち上がっていくんだ」というようなことが言われていたんですよね。

でも、なんかそこでも、本当か?という感じがあったんですね。

「教育とか学ぶということは環境に適応するっていうことなのか?」

そこに流れていた雰囲気は、

工業型社会に適応しなければいけないっていう恐れのサイクルが回ってみんながバァーと後ろから押されて勉強していた。

そうしたら、今度はその工業型社会が終わるから知識基盤型社会に適応しなければならないっていう恐れのサイクルが回ってバァーとそっちにいく。

そんな景色も見えてきた。

それは、やっていることの手足の動かし方が違うってだけで、本当は同じなんじゃないかなと思ったんです。

そうしたら、対話の中で

「そうじゃなくて、もっと『本質的なパラダイムシフト』、何かに適応しなくちゃいけないというふうになって動かされていくのではなくて、『自分の中心の生き物らしい生き生きとしたところにつながってクリエーション起こしていく』ようなことが目指すべき教育なんじゃないのかな」

みたいなことが自分や他の人の口からも出てきたんですね。

そうすると、真実が持つ力はすごくて、一回出てきちゃうともう戻れない。

そうだと思うと、そうだということになる。

一回そうだと思ったのに違う方向にはもういけなくなる。

それで、どんどん真実に向かっていく対話が進んでいくと、その部分と整合性が取れない部分が矛盾をきたして不安定になっていくわけですよ。

ある程度までいくとその矛盾が耐えられなくなって、自分が真実とは合わないと思っていた部分がパカッと外れていく、跳ね飛んでいくという感じで活動がどんどん先鋭化していっている感じがします。

生きることの本質

【小泉】いまの田原さんにとって「教育」とは?

【田原真人】生きることが学ぶこと。

学習のプロセスというのは生きることの本質的な部分なんだ、ある意味「学習するから生きている」というくらいのことなんだなとと思っています。

「本質的な学習するプロセスみたいものに触れることができたらすごいことが起きるだろうな」と思っています。

本質的な学習するプロセスがすごく抑え込まれているような気がしていて、その抑え込まれているところが外れると本来の学習するプロセスが姿を現してくるというイメージが自分の中にあるんです。

それは実際に試行錯誤する中で何度もそういう瞬間に立ち会っているからなんでしょうね。

ああこれだ、これが広がればいいんじゃないかという瞬間に。

それが伝わる人伝わらない人がいて、伝わるか伝わらないのところで悩むことはあります。

実際の体験を通して、ああこういうことなんだなっていうのが、自分の内部の体験としても、場に起こる体験としてもある程度見えてきているっていう感覚も。

個人も場も「変容」する相互進化のダイナミクス

【小泉】本質的な学習するプロセスとは?

【田原さん】僕は大学で「自己組織化」という概念と出会っていて、自己組織化は宇宙が進化していくときの原理みたいなものだと思っています。

分子と分子が集合して形ができて、みたいな感じで単純なものから複雑なものにどんどん変化していくような原理があるから、もともとビックバンで一様だったものがこんなに複雑な宇宙になっている。

その一部に生き物もいて、その生き物がなす活動も自己組織化の原理の中で進んでいて、「学習のプロセスも自己組織化の原理に沿って進んでいるときに一番よく発動するな」っていうふうに思っています。

一人ではなくコミュニケーションをとりながら、個人のなかでの学習のプロセスと場のなかの学習のプロセスっていうのが相互進化する。

個人が変容していくから場が変容して、場の変容が個人の変容をもたらしていく。

そういう相互進化のダイナミクスが場で起こっていったときに、すごい渦がバァーと回って、いろいろな抑圧が渦の中で外れていくような状況を何度か体験していて、これがある種、学習の真理なんだなという感覚があります。

田原真人さんの写真

変容のドラマの内幕

【小泉】本質的な学習するプロセスが起こるためにどんなことをしているんですか?

【田原真人】すごく単純に言うと「ゆらぎの増幅」。

僕は複雑系や生物物理という分野でやっていたので、物理学の自己組織化の言葉を使って教育の場の起こっていることを言語化している。

ゆらぎというのは言ってみれば攪乱、ちょっとしたざわざわと動くもの。

抑圧的な場では予定通りに全部を進めようとするから、ゆらぎを抑えようとする。

逆に自己組織化を起こそうとする場では、ゆらぎをとにかく増幅させる。

フィードバックにはゆらぎを抑えるネガティブ・フィードバックと、ゆらぎを引き出し、増幅するポジティブ・フィードバックがある。

その増幅するフィードバックをどんどん与えていくと、場がちょっとカオス的というか、ぐちゃぐちゃというか、訳が分からなくなる。

そんな訳が分からなくなってくる状態に積極的に持っていき、場のプロセスを信じてこのぐちゃぐちゃな状況を見守ろうというところに立つ。

みんなごちゃごちゃの中で居心地は悪かったりもするんだけれど、みんなそれぞれ何とかしようと思って動いているうちに、なにかしらかの循環が生まれてくる。

その循環が生まれてきたときに、みんなが何かしらの役割でその循環を担っていて、その循環の存在を自分も担っているだなぁというのが、その人の生きがいみたいなものを与えてくれる。

なんていうか、循環のドラマが起こるんですね。

そういう役割って通常思われている固定化された役割でもないし、その役割を担う資格があるかないかでもないんですね。

そうではなくて、本当にいろいろな役割があるってことがわかって、そのドラマの役割は勝手に産まれてくるわけですよ。

そうすると「役割ってそういうことなんだな」という気づきが場の中に起こって、誰しもが「そういうことなら自分はできるよ」と自己肯定感が上がってくる。

好奇心で場をホールドする

【小泉】どんな在り方で場をファシリテートしているんですか?

【田原真人】好奇心ですね。

意図はあまり持たないようにしています。

ここでこういうゆらぎやドラマを起こしてやろうとなると、なんかそれが邪魔をして、場のプロセスを妨げる感じがあります。

ただ増幅する。

ただ承認する。

「それいいですねー」とか「どんどんやってみましょう」という感じでやっていったときに、自分が場をホールドするときは「何が起こるんだろう?」という気持ちでいないとね。

なんか、自分が誘導しようとするとそれとのぶつかり合いになって発動が妨げられるんです。

だから、好奇心で「何が起きるんだろう?」という気持ちでやるのが大事なんでしょう。

そんな中で自分の何かが発動して、力ずくでもこっちに引っ張っていきたくなっちゃうということが出てきたら、それはそれで場のプロセスだなと思って、それも認めちゃうっていうのもあるんですけどね(笑)。

場があって、場の中からいろいろなものが形成される

【小泉】場というものをすごく意識されているようですが、その意識はどうやって生まれてきたんですか?

【田原真人】僕の中では「場」というのは物理学で出会った言葉なんです。

現象をとらえるときの見方は2通りある気がしています。

物質があってそこの周りには何もない空間があるっていう考え方なのか、場があって場の中からいろいろなものが形成されるという考え方なのか。

僕は後者の場から生まれているんじゃないのかなと思っているんです。

なぜかっていうと、生命というのは物質との相互作用という考え方からは出てこない気がするんですよね。

例えば、僕は細胞性粘菌というアメーバが相互作用しながら合体して、合体したナメクジみたいなもののところに多細胞体としての生命が現れて動き出していくということを生命プロセスのプロトタイプとして選んで研究していました。

ナメクジとしての生命は単なるアメーバの足し集めではないわけですよね。

僕も、この身体の中のたくさんの細胞が受精卵から分化して循環が生まれて田原真人が出来ているんですけれど、これも細胞の寄せ集めではないですよね。

これは言ってみれば、僕のこの体という場で起こっている生命のドラマがあって、その生命のドラマに田原真人っていう名前が付いているんだなと思っています。

物質に還元できない、場に生まれているメタな働きを意識したいっていう気持ちが場っていう言葉を使っている。


ここまで、自己組織化ファシリテーター/オンライン教育プロデューサーである田原真人さんの教育に対する考え方、ファシリテーターとしての在り方などを伺ってきました。

中編では、田原真人さんがここに到るまでの経緯、ご自身のライフワークやご自身の変容の物語を紹介します。

どうぞお楽しみに!

※ 関連記事

 

※ 参考サイト

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です